恵みの期間、人間刷新の期間 四旬節=死と復活へ
清川 神父
もうすぐ四旬節に入ります。この四旬節は教会の刷新および信者に対しての信仰教育・再教育の期間であり、信者一人ひとりがキリストから与えられた使命を確認する期間です。また、洗礼を受ける人の「準備期間」でもあります。つまり、この時期は教会を、より「キリストの体」となるように刷新される期間であり、信者一人ひとりを「神の似姿」に成長させようとする神の願いが込められた恵みの期間です。また、新しく「神の民」となる人々を、神が呼び集める準備期間でもあります。
もう一度、この「洗礼とは何か」を皆さんと確認したいと思います。「洗礼」とは罪から解放によって「世の光」として「地の塩」として、自分だけの救いを越え、世の罪を取り除くため、つまりすべての人の救いに希望をおく者として神がその人を選ばれたという秘跡でもあります。そして、その人は、世を福音化する使命を神からいただくのです。つまり、不信仰、利己心、争い、弱者への圧迫、人権侵害、差別などの人間の罪を取り除き、人間の兄弟姉妹的交わり、社会で小さくされている人々との連帯、外国人への尊敬、一言で言えば神の偉大な恵みによって愛を示す使命を持ちます。それは、その人は、世に生きながらも神の国の実現の協力者として神から選ばれることでもあります。これが神からいただいた「洗礼」の恵みの意味するところです。
この四旬節の時期、このキリスト者としての使命を忘れ、自分の弱さの為に、さらに世の誘惑に負けてその使命を果たさず、和解の道具になる代わりに、不和、分裂に力を貸す生活をしている人に、神は手を差し伸べ使命を思い出させ関係回復を願い、教会はその神の願いを果たすために奉仕の務めとして「黙想会」や「ゆるしの秘跡」を行うのです。この奉仕によって教会共同体と、一人ひとりの神との関係回復されるのです。そして、回復だけではなく、新たな命を受け、人生の歩みの中でその人を成長させます。このような成長を、最近、私は司牧活動をしていて感じることとして狭い視野から広い視野に神が招いていることを感じるようになりました。
あるキリスト教信者の話ですが。その信者の家族は熱心なキリスト教徒で、毎、朝夕神に感謝を捧げ、また聖書を読みイエス・キリストとの交わりを深めていました。しかし、その家族は、ある食品公害による被害者となります。その家族は、多くの被害者と共に、その食品会社と国を相手取り訴訟を起こしました。長時を経て、その公害事件は和解しました。その訴訟している間、キリスト信者はこんなことをいったそうです「この公害事件の被害者になる前、わたしは、熱心なキリスト信者だと自負していた。しかし、被害者になることにより過去の私の信仰は未熟なものだと感じたと、つまり、キリストを信じながら不義によって苦しんでいる人々、社会の問題を人事のように考えていた。自己満足の信仰に浸っていた。弱い人々と連帯して、よい世界を作ろうという意識がなかった。」と。
私が思う新しくなる事、成長する事とは、神の視点から見ると人間が一般に思い浮かべるものではないのです。自分だけの救いではなく、すべての人の救いを考え、他者の救いに目を向ける生き方に人生をかけることに人間の成長があると思うのです。現代の風潮は、あたかも無関心で利己心、不感症でいることが人生で得をすることだと考えている時代かもしれません。しかし、これが高じると社会は崩壊するように感じるのです。そこには、神の視点からの成長はないと、私は感じます。その点、皆さんもご存知だと思いますが、最近あったC型肝炎訴訟の原告団の「すべての被害者の保障がない限り、自分たちの保障は退ける」という意志に、偽装事件の釈明や、官僚の腐敗、政治家の対応と比べ清々しさを感じました。結果的に政府は、原告団訴訟を受け入れたが、その間の政府の対応のまずさが浮き彫りになり、彼女たちはキリスト信者でもないが、私は、彼女たちを預言者のように見ていました。この出来事の中で、新しさに向かう人間の姿と、古い人間の姿を垣間見たような気がしました。
私が司祭になり人事ではない問題に直面します。戦争悲劇、差別の現実、身近な人の死に苦しむ人々、病気をかかえた人々、精神的に苦しむ人々と出会います。その苦しむ人々に、悲しみや苦しみだけに終わるのではなく、神の導きによる、新たな道、平和を求める道を発見して欲しいと願います。世界の苦しむ人々との連帯と、社会が弱い人の視点を優先する社会の実現、また、環境破壊についても連帯して考え実行して行く勇気、自分の救いからすべての人の救いを求めて、広い視野を持つ人間になるために、神との交わりを実現する「秘跡」があるのだと感じます。いただいた「秘跡」を生かすのも、自分たちの在りようだと私は感じています。
目に見えるもの、あらゆる人間の権威は消え去っても、目には見えない神の愛、人間を、人類を、社会を成長させる愛、諦めない忍耐は消えません。この神との交わりを実現する恵みの時期、皆さんと共にその恵みを味わいたいと思います。そして、私たちが「復活の命」「永遠の命」に喜びをもって繋がることができますように・・・・