温暖化防止についての論争を冷やすには
ゴーセンス神父
アル・ゴア氏と4,000人以上の自然科学者が協力している国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)とにノーベル平和賞の授与が示したように、温暖化は嘘でもないし、ハルマゲドン全滅の前兆でもない。一方、地球の過去に人間活動が全くなしに気候変動もあったが、他方、今温暖化対策の必要性が差し迫っているということも間違いない。ただ、温暖化のメカニズムが部分的にしか分かっていないから、二酸化炭素ガスを減らす提案だけで間に合うかどうか疑問だ。
たとえば、宗教者が9月に見学したグリーンランドにある氷河が溶け続ければ、200キロ離れたところにまで長くなる氷河の「不都合の真実」もある。防止しないと、2100年までに海水面は33センチ上がれば、ガスを減らしてもまだ20センチ上がる予測だ。温暖化による降水量の増加のため南極の雪が増えるから、この氷の増加によって2100年に海水面は5センチも減る見通しをIPCCは報告した。また、2050年に暑さのため40万人の死は予想されるけれど、逆に、暑さのおかげで180万人は寒さによる死から救われる予測もある。
つまり、京都議定書に定められた対策の効率は疑問とされ、論争の的となっている。温暖化のせいでマラリア病に罹患する人の危険割合が3%増えることは予側されるが、議定書を実行しても0.2%しか減らすことができない。同じように、年に北極の熊一頭だけが救われるけれど、猟師が年に300-500頭を殺しているという矛盾が生じている。CO2の1トンを減らすには20ドルかかる。しかし、同じ1トンによる環境へのダメージのコストは2ドルに過ぎない。結局、問われているのは、2ドルを儲けるために20ドルを投資すべきかという議論だ。
もっと安くて、効果のある、他の対策に力を入れるべきではないか。例えば、マラリア予防、堤防の建築、都市計画、そして特に省エネ対策と環境にやさしい技術の研究と開発を優先すべきではないか。莫大な金を二酸化炭素ガスを減らす対策に集中すれば、新しいエネ資源を発見するための資金が足りなくなるという現実的な心配が生じるといっても過言ではない。
EUが最近進めているレーザーによる原発の開発は大きく期待されている。太陽と星のプロセスをまねながら、レーザーの巨大な高熱と圧力によってフィルターされた海水から重水素と三重水素を原子核融合させてヘリウムとすごいエネルギーを生産する仕組みだ。その上、それはクリーン・エネで、病院のレントゲンぐらいの放射線しか出ない。しかも、15年後には実用化できそうな研究と実験であるそうだ。
ところが、人為的エネなしで生き残るために狩人と果実をつむ原始民は一人当たりに1.5 km2の土地を必要としていた。素朴な生き方をすれば、陸上で生活ができる人口はかろうじて2億人しかありえない。それ以上の人口の生命を養う食料などを作るためにどうしてもエネが必要となる。中国政府は貧しい国民の平均収入を4倍も増やす計画を発表している。一方でエコロジストの言う産業生産を制限して減らす発想は贅沢な話であると主張しなければならないと同時に、エネのための環境破壊が自滅への道であることも訴え続けなければならない。私は現代がこういうジレンマに直面しているような気がする。
被造物の将来を守る為に「エデンの園」を「支配」するどころか、受身的な環境保存より、むしろ資源を積極的に利用できるように、賢明にその管理を合理的に行うべきではないか。この意味で、エコロジーの論争を冷やして、多面性に富んだ民衆主義的な対話が求められている時代だと思う。創造主の御業に頼りながら地球で進化した人類の歩みの目的地が人類全滅ではなく、神の都を目指していると私は信じたい。しかも、信仰の賭けだと覚悟しながら。