新年の挨拶
ゴーセンス神父
新年おめでとうございます。毎年元日に全教会は世界平和を求めますが、今年はどういう年になるでしょうか。拡大する国際貧富の差による混乱がテロと内戦を、又、国内の格差による不安が変な事件と様々な暴力を起こし続ける見通しは圧倒的と言わざるをえない遺憾の現実です。富と権力の追求が人を搾取していることを防がない政治のやり方が無秩序を招いている訳です。
この状態の中で意義のある生き方がわからなくなる若者が少なくないので、安倍政権は教育基本法の改正を第一の目的にした。多くのキリスト者が関わった1947年の基本法による教育の目的は一言で言えば、人格の育成によって要請された良心に従って生きる人間を育てることにあった。こういうパーソナリティ教育の前後関係は神の国が示す価値観に基づいた社会へ協力する人間を目指したものだった。前書きに、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」という表現があると同時に「民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献しうるよう」の育成を日本の教育の課題であると指摘されている。第一条は「人格の完成を目指し、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、労働と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健全な国民の育成」を目的に定めた。この表現で法はバランスをとっていたので、それを実行する方法を考えるべきだった。
では、どうして12月16日朝日新聞の夕刊のように、マスメデイアは改悪を『個』から『公』重視へ」と言う見出しをもって改正と受け止め、反キリスト教的な、無理な解釈をして国民をだましているのか。それは、西洋の個人主義への批判の口実をもって、社会の公に貢献した方がいいという偽善に過ぎない。国策はどれほど危ないものであるかを法務省(法に務とめるはずの省なのに)が作ったタウン-ミーティングのためのやらせのマニュアルに見えてきた。不正な国策がいっぱいあるにもかかわらず、知らん顔をしている与党の姿勢に怒りを覚える。たとえば、毒の廃棄物の輸出を許すフィリピンとの自由貿易協定を、それを禁じる国際契約を日本が批准したのに、与党の参議員は12月6日にこれを承認した。こういうような無頼の政治家の判断力に教育の統制をゆだねてしまった国民はかわいそうだと思う。又、歩車分離式信号があるところに交差点をななめに渉ることを禁じて「決まりを守りなさい」と叫んでいたお巡りさんのおっちゃんは強盗などの事件を次々起こす警察の愚かさを暴露し、そのような人々に教育の指導を任せるのは危ないことと思う。やはり、政治家と公務員への監視が鈍くて世間体を重んじるにあまりに、こういうような結果を生んでしまう。
ところが、一番親しくパウロがかかわったフィリッピ教会への手紙に次のあいさつが書いてある。「わたくしはこう祈ります。知る力と見抜く力とを身につけて、あなたがたの愛がますます豊かなになり、本当に重要なことを見分けられるように」(フィリ1・9〜10)。つまり、識別することによって初めて愛が豊かになるわけです。
福音宣教するには、「共感、共生,協働ができる共同体を目指し、国、民族の違いを受け入れ合う」徹底した分かち合いと現実を識別することは今年の姫路地区の信徒大会のテーマでもある。地区集会やみことばを分かち合うグループ、評議会と諸チームの働きを期待しながら、変化の激しい地域と国際社会に苦しめられている兄弟姉妹の問いかけに善意の人と組んで答えられるために、温かい家庭を築くことと一人一役という理想に向かって2007新年がわたしたち皆のために主の招きを悟る時となるように祈り申上げます。
教会ニュース「風」 1月号 巻頭言より