平和への反撃にあう時
ゴーセンス神父
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない、平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たのだ。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者は敵となる。」(マタイ10・34―36)
京都で行われた「正義と平和」全国集会はこの厳しい福音箇所をテーマにした派遣ミサで結ばれた。言い換えてみれば、あらゆる暴力に満ちて罪深い世界の中でイエスらしく生きる人が社会の無秩序と必ずぶつかっていくことを主は予告した。福音的な価値観があまりにも世間体と異なっているから、一般的な評価基準に従って生活を送っている親しい人とさえも激しい食い違いが必ず生じることに用心しなければならないと主イエスは教える。
それに似た経験を私は美しい京都でさえ、することができた。現地学習として選んだ「目で見る宗教の戦争責任」という市内のオプションツアーで、57名の参加者と共に、七つの場所で戦没者の碑を見学した。そこで私は宗教哲学を教える浄土宗に属するお坊さんの指導の陰で、現代に少なくない人々が戦争を美化している発想を石に刻み、最近でもそれを表明していることにきづいた。特攻隊の学校があった所に今霊山護国神社を建ててあるが、境内に立てられた割に新しい碑に、神風となった若者が「民族の幸福と世界平和」のために命をささげたと書いてある現実は、私にとってショックだった。戦争がウルトラナショナリズムによる侵略戦争だった事の否定にただ驚いただけではなく、つまずきも覚えていたからである。
私たちは、神の国に反対を起こす人々を弁明するどころか、初代教会をはじめ、どの時代や国と文化でもキリスト者に対して不正の迫害があったことを常に認識しなければならないと思う。キリシタン時代の迫害の原因が西洋人のキリスト者自身であるという解釈を教会の中でもよく聞く。すなわち、幕府が西洋による占領を恐れていたからである、と。しかし、この説明には歴史的な根拠がないと主張すべきだ。つまり幕府は、逆に、実際の危険が外からではなく国内から生じていることにきづいたわけである。ローマ帝国の時と同じように、政権は絶対的な権力者を偶像と見なして相対化するキリスト者を危ない者と扱わざるをえなかった。
それは最後の宣教師として日本に密入国し、すぐにつかまえられたイタリア人のシドッティ宣教師を取り調べた新井白石が幕府へ書いた報告書の中に明るみに出ている。白石は1709年に書いた「西洋記聞」に次のように記した。「天主を大君大父として崇めれば君父を軽んじる」と。言い換えれば、天の主と天の父を信ずることによって国を支配する君と家を絶対的な権力で治めるお父さんが相対的な者に過ぎないというキリスト教の立場は冒とくと見なされた。当時の独裁者は、絶対主義に変わってしまった封建社会の秩序を転覆させようと狙っている教会を危ない運動と受け止めざるをえなかった。ローマ帝国でも、日本鎖国でも、かろうじて300年にわたった迫害という統治者の対策は偶像である権力者の残酷な自己防衛だったと理解したら間違いない。
管区長と会うには大名と同じように三つの待合室を通らなければならなかったことに関して、教会法による訪問を成し遂げたヴァリニャーノ師は日本管区がイエズス会の精神から外れていることを創立者イグナシオに報告した。これほど土着をやり過ぎたパテレス(宣教師たち)からキリスト教を学んだにもかかわらず、ガラシア夫人は、細川忠興にきつく叱られても、女中に対して平等の言葉を使い、はしための敬語も許さなかったと伝えられている。宣教師たちが風土化に巻き込まれ、結局四海同胞のメッセージを歪めたのに、皆が兄弟姉妹であるという良い知らせは主人に迫害されたガラシアの生き方によって百倍の実を結んだに違いない。
ところが、十月の末に古代ヨーロッパのアングロサクソン人は死者の霊魂が現世を訪れに戻ってくることを信じた。けれど、お盆の時に先祖と一緒にご飯を頂くような穏やかな祝いと違って、ハロウィーン祭の時に現れてくる霊魂は生者を脅威する存在と思われていた。ヨーロッパで福音を述べ伝えた宣教師たちはこの「よみがえり」をキリスト教化し、眠りについた大勢の人が神のもとで至福を味わっている事を九世紀から「諸聖人」の大祭日として祝いはじめた。又、三度もイエスを否定したけれどイエスを愛する条件でその羊を飼うように又三回も頼まれたペトロが苦しんだように、許しをいただいてもまだ自分の罪のつらさを悩んでいる死者のために完全な癒しを祈り求める「諸死者」の記念日を翌日に設けた。そうして、福音宣教は幽霊を怖がっていた部族を永遠の宴の目的地へ向かわせ、聖徒の交わりという希望に満ちた発想に変容することに成功した。
テロ、核実験、ミサイル、国際貧富の差、不正の貿易、国内の168倍の格差、軍備化、労働の搾取、福祉の切り捨て、いじめと差別、右翼による脅かし、家庭内暴力などの現代社会で起きている迫害の最中でも択一的な生き方を大胆に示し、多くの人を福音的な愛へ誘うような使命をキリスト者は預かっている。パリとリスボンにつづいて今年ブリュッセルで、諸聖人の連帯を中心にして一週間にわたって、大都会の福音化に関する数多くのイベントが計画されているそうだ。み国の到来を反撃する世俗化と多文化による新しい挑戦に応じて様々の地域教会がどういう風に取り組んでいるかを参考にしたいし、できたら次回に紹介するつもりである。
教会ニュース「風」11月号 巻頭言より