「預言者と社会正義」 ![]()
マイケル神父
旧約聖書にあらわれる社会正義の代理人は預言者です。
すぐれた預言者たちは、その時代における社会的な不正義を経験した人たちでした。
彼らは社会的な不正義を経験することによって、完全とはどのような状態であるのかという視座を得たのです。
社会的な不正義の中から預言者たちは生まれました。
彼らは抑圧、暴力、貪欲さ、そして権力欲を非難しました。
例えば、預言者イザヤは横柄な上流階級の人々が、貧しい人々に対して
無関心なまま暮らしていることを非難しました(イザヤ3:14‐15)。
預言者たちは、強い権力や権限を持つ者に直面しても恐れませんでした。
もう一人の預言者アモズは、上流階級の贅沢、権力を持つ者、そして貧しい人々の
悲惨さの上に自分の富を築いている政府の腐敗した役人たちを公然と非難しました。
彼らの贅沢は、貧しい人々に対する暴力の上に成り立っていたのです。
預言者はこの社会的な不正義を公然と非難しました。
その代わりに、彼らは神様から与えられた契約の法令を述べ伝えました。
これらの法令はモーゼ五書にあります。
⑴契約の法令―これらは出エジプト21‐23の中にあります。
これらの法令の主要な内容は、無防備な状況にある人々、すなわち、
召使い、土地の者ではない人びと、寡婦、 そして孤児の保護です。
それはまた、高利貸しの禁止を奨励しています。この法令には安息の年の規定もあります。
安息の年の一つの目的は奴隷の解放であります。
⑵申命記の法令―これらは申命記12‐26にあります。
ここには安息の年の明確な規定があります。
安息の年は解放の時期であり、負債が免除されます。
この年は、貧しい人々が永遠に富める債権者の奴隷にならないよう、負債を取り消す時期なのです。
⑶神聖法令―これらはレビ記の中にあります(レビ記17‐26)
。
この法令の主要な内容は、ヨベルの年についてです。
「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。
それがヨベルの年です。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。」(レビ記25:10)
これは主の恵みの年だと言われます。
ヨベルという言葉はヘブライ語で、 四十九年が数えられた後に、角(ヨベル)を吹くという意味です。
それは解放の布告であります。 ヨベルの年の法律の中にある正義の原則は、
負債によってひき起こされる奴隷の問題、破産および不況といった社会的な問題と戦うためなのです。
預言者たちの述べ伝える言葉は、ヨベルの年の立法の、繁栄と社会正義の新しい時代を反映していました。
新約聖書では、 社会正義の代理人は優れた預言者イエス彼自身なのです。
愛、正義、平和などの価値を述べ伝えるのだというイエスの使命は、
昔の預言者たちのように対立の状態から始まりました。
こうした状況の中で、イエスが代わりに行ったことは、主の恵みの年を告げ知らせることでした。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4:18‐19)
イエスが引用されたのは、自分の使命の記述なのです。
この使命とは、人々の重荷となったり圧迫するものから、人々を全面的に解放するという使命です。
イエスの使命が優先したのは、安息の年とヨベルの年に関わる人々でした。
それは、追放された人、困窮した人びと、よそ者などの恵まれない人びとです。
イエスは貧しい人、遣わされた人、病人に彼の時間およびエネルギーのほとんどを使い、
一緒に食べたり、飲んだり、生活をわかちあったりしていました。
「幸いと不幸」の説教 (ルカ6:20 - 26)の中にイエスは貧しい人々、飢えている人々、
泣いている人々、憎まれ追い出されたり汚名を着せられた人々の恵みと報いについて話しました。
さらに、人々を圧迫する、また悪用をする豊かで特権のある人たちに「不幸だ」と話しました。
この説教の中にヨベルの年、言い換えれば、主の恵みの年の要求と仮定、
つまり、貧しい人の救いと解放が明らかに示されています。
最後に、私たちは主の祈り「ルカ11:2‐4」の中に、安息の年とヨベルの年についてのモチーフと、
その規定に関わることがらを見つけることができます。
この祈りの中では、罪の許しだけでなく、あらゆる負い目(ルカ11:4)
の許しについても、イエス様は話しておられます。
社会における既存の秩序を公然と非難し、他者との真の支えあいを築き、
他者に献身するというイエスの公然の使命は、不公平な状態を維持する人々にとってはスキャンダルでした。
その結果、イエスは人々に完全に拒絶されました。
正しい社会、公正な人間関係を築くという使命の結果は、十字架の辱めです。
けれども、この優れた預言者の社会正義を築くという使命は、失敗ではありません。
イエスは詩篇118:22‐23を引用して、自分の業を説明します。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』
皆さん、 旧約聖書の預言者の力に満ちた言葉と、新約聖書のイエス・キリストの解放的な活動は、
私たちが人間らしくあるために必要な諸権利が実現されるような共同体を築くために、
現在も大切な視点と、私たちの積極的な参加が必要であることを示しています。
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