「飾りやないやん・・・信仰は!」 ![]()
今こそ生かそう成和の宝
清川泰司 神父
今年の大阪教区、平和旬間のテーマは「飾りやないやん・・信仰は!」(今こそ生かそう平和の宝)です。
このテーマを見て、キリストへの信仰は決して飾りではなく、イエス・キリストを愛する以上、
平和と正義に対し、また社会の中で弱くされている者に対して
無関心であってはいけないと感じさせられます。
私が、このようなことを痛切に感じさせられる聖書の箇所があります
。
それが、エレミヤの預言の箇所です。この箇所から、私も司祭でもあり、キリストの言葉を愛する者として
洗礼の際に「預言職」を受けた者として、人事にしてはいけない。
恥をさらさない生き方を求めなければならないと感じています。
「身分の低い者から高い者に至るまで、皆、利をむさぼり預言者から祭司にいたるまで皆、欺く。
彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して平和がないのに『平和、平和』と言う。
彼らは忌むべきことをして恥をさらした。
しかも、恥ずかしいとは思わず嘲られていることに気がつかない。
それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ、わたしが彼らを罰するとき彼らはつまずく」と主は言われる。
(エレミヤ6:13-15)
私たちが暮らす日本社会は一見、平和そうに見えます。
しかし、聖書が示す「平和」、ヘブライ語の「シャローム」という平和概念から言うと
決して平和とはいえないと感じるのです。
その「シャローム」という意味は、戦争がないから平和という狭い概念ではなく、
神による完全な平和を示しています。
現在、日本人は資本主義にどっぷりつかり経済的に恩恵を得ています。
しかし、立ち止まって社会状況を見ると、公的責任を負った人が
無責任になっている状況があります。
つまり、社会の中で権威を握った人々の不正や、倫理観のなさがあり、
常に自分の利益を求めて自分の立場に甘えている姿を目の当たりにします。
また、自分の利益、また力あるものの目線しか見えない政治的指導者によって
社会格差が生まれ捨て置かれてゆく人々の叫びを聞きます。
しかし、その叫びも、人々の無関心によってかき消されています。「平和・平和」といって・・・・・。
そんな中、共同体が崩壊したために捨て置かれた人々は個人で
その苦しみを抱えなければならない状況があります。
そのような状況から生まれる現象として自殺する者を8年連続3万人以上も出し、
生きる力、そして生きるという本当の目的を見失わされている人をたくさん生んでいます。
第三世界に比べ快適な社会を実現しているにもかかわらず。
このような状況が広がり、また小さな命への虐待が行われている(堕胎も含め)。
子供が宝とならない、大人の自己実現のほうが大切にされる人間精神の状況が広がっています。
このような状況の中で、他国を侵略した歴史、戦争した悲劇の歴史が忘れ去られようとしています。
平和の宝でもある平和憲法すら改悪しようとしています。
このような、闇の状況から、神の言葉は光を放ち人間の警鐘を鳴らします。
私たちは、この警鐘を鳴らす神の働きを世に現さなければならないと思うのです。
私たち、キリスト者は、社会に対してもっと意識し、危険な状況を回避するために働く必要があります。
多くの信徒は意識していないようだが、洗礼を受けたとき、聖香油を塗られるとき
こんな使命を与えられているのです。
「神の民に加えられた、あなたは、神ご自身から救いの香油を注がれて、
大祭司、預言職、王であるキリストに結ばれ、その使命に生きるものになります。」と、
そして皆さんは「アーメン」と答えているのです。つまり、神から使命を与えられているのです。
その言葉の中に、「預言職」という言葉があります。
私たちは、神の言葉を預かるものとして平和を求める者にならなくてはならないのです。
今回、姫路地区の平和旬間では、教区のテーマに従ってブロックごとに平和を意識する企画を用意しています。
出来る限り参加してください。あなたの洗礼の意味を豊かにするために・・・・。
共に神の民として歴史を歩みましょう。
姫路教会ニュース <風> 巻頭言より
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