「キリスト教講座について」


清川 泰司 神父


多くの人々に、カトリックの精神、さらにキリスト教の知恵を知っていただきたいと、

今年も4月の末から「キリスト教講座」(計40回)のコースを始めています。

このキリスト教講座も司祭叙階されてから6年間改良を重ね行なってきました。

この講座の元になるものは、神学生のときに手伝っていた小教区の神父さんが使用していた

フランスから取り寄せ翻訳したキリスト教入門講座(約50回)です。

しかし、この講座をそのまま使用するのには問題がありました。

それは、伝える対象のフランス人の取り巻く状況と、日本人の状況に違いがあったことからでした。

つまり「神」「宗教」に対してのイメージの違いからです。

日本人にとって本当の意味で「神」が生きる指針、導く存在であるというイメージを持ってもらうのが難しい事からです。

多くの日本人が持つ「神」についての印象と「宗教」に対しての先入観はキリスト教の立場からすると異質です、

「神」を一つ取り上げても、特徴として「あいまいな神(神を自分の感情だけで計る)」、

また「現世ご利益的な神」「八百万の神」「自然の中に神」「自分自身の体験、経験が指針となること」などの傾向を、

自分の欲望を満たす為に得する神か、得しない神かの自分の願望の対象にしている傾向があります。

それに加え、生きる指針についても「会社の価値観」、また、播州のように地域社会が密なところでは

「世間体」が生きる指針となっていることからも、聖書に描かれている「神」を受け取っていただくのに困難さを感じています。

そのため、参加者の多くはキリスト教講座に「神」に対する多くの先入観を持ち込んでこられるのです。

また、「宗教」についても自分たちが感じている宗教観(日本人風の仏教)をそのままに

キリスト教信仰に適応させようとし混同している部分が見受けられます。

そんな所から、私が行っている講座では、自分たちが自然に持っている神概念や宗教概念を

客観的に紹介し整理し、ひとまずその意識を横においてもらい聖書が示す「神」を紹介する形で講座を進めています。

そうしないと、キリスト教が示す「神」が容易に自分の考えの中で歪められ理解されるからです

(現在、信徒の中にも、この傾向が多い)

そして、聖書が示す神の性格を知っていただき、それが信ずべき「神」と感じた人に、洗礼を授けています。


さて、現在の教会の取り巻く状況は危機的状況です。

日本教会の信徒は、第二バチカン公会議の精神を基にした信徒の基礎養成が立ち遅れています。

それと、司祭の減少もあり教える人が減少し、他の国で行なっている信徒が

キリスト教入門講座を受け持つ体制も立ち遅れています。

そこで、今年、それを実現する為に、南アフリカで作成され、

多くの国々でキリスト教入門講座の際に使われている「共に歩む旅」

(オズワルト・ハーマー著、ルムコ研究所1985)が翻訳されました。

そのままテキストを使うのは困難ですが、これから、日本で適応させてゆく作業を行なわなければなりません。

そこで、この作業を信徒と共に行ないたいと思っています(養成チームと他の数名で)

その作業により、入信を希望する方の養成をする信徒が生まれることを希望しています。

この司祭が減少してゆく中、何とか教会が本質(第二バチカン公会議の精神を基にした教会の在り方)を保ち

「砂上の楼閣」にならないようにと感じています。

より多くの信徒の皆さんがキリストの豊かさを理解し、それを基礎に教会共同体を再構築してゆきたいと希望しています。

この姫路地域の中でキリストの精神に憧れる人々の窓口として、

その憧れに応える責任を果たす共同体として成長していただきたいと感じています。

本来の教会の姿を実現する為に・・・・・。

(キリスト教講座に、今からでも参加する事が出来ます。



姫路教会ニュース <風>6月号 巻頭言より




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